JAPAN-ITALY Business On-line
0 BUSINESS ON-LINEITALY NEWS

COFFEE

2011/12/31

HOTなエスプレッソITALY WEB SITE編集 BACK NUMBER

HOTなエスプレッソ 



田中ちひろ

京都生まれ、91年よりミラノ在住。三井住友保険会社ミラノ支店勤務の一方で、日本、イタリア、フランス等各国で 異文化間マネージジメント、コミュニケーション、NLPセミナー・トレーニングを行っている(www.global-excell.com)。執筆は「ストレスは捨てられる」(中経出版)、「普段着のミラノ案内(晶文社)」をはじめ各種新聞雑誌コラム等多数。

 

2011/2/28

61. アラブ諸国の異変に思う

チュニジア、エジプトの旧政権崩壊から まだ戦いの続いているリビアまで、アラブ諸国の動きが世界中の注目を浴びている。 政権が崩壊していないそのほかの国々でも その動きは飛び火して、デモや衝突を生んでいる。

アラブ諸国とは石油をはじめ、経済的な関係で繋がっているとは言うものの、日常生活においてその地の人々とほとんど接する機会がない日本と違って イタリアにいると彼らは 日常のごく当たり前の風景の中にいる。

イタリア人にとって もっとも手ごろにいけるバカンス地は チュニジア、エジプト。
ローマからなら飛行機で1時間、パリに行くよりよっぽど近いチュニスやカルタゴは 私にとってもヨーロッパに住んで最初に行ったバカンスの土地。 いつもよく行くケバブ屋さんや角のピッツェリアのオーナーはエジプト人。 私の使っている銀行の最大株主はリビア政府。。。
毎日の生活の中で、アラブの人たちを見ることなしに一日たりともすごせないくらい、ミラノでは彼らの存在は日常化している。

これを機に民主化を願う声、イスラム勢力の拡大を懸念する声、さまざまな分析や思惑をよそに 居場所のなくなった大量の人たちの様子が 日々報道されている。
彼らに行くところ、そして帰るところはあるのだろうか。

この種の状況を耳にするたびに 思い出す友人がいる。
イラン人の友人、マホメッド。
パーレビ国王が追放されたイラン革命のときにヨーロッパへ命からがら逃れた人の一人。
国王に近かったエリートとして父親が捕らわれたときに、家族が彼を逃がしたという。

イタリアの外国人大学で 多くの留学生に混ざって身を潜めていた彼が ひょんなことで私のベルギー人の友達と恋に落ち、ベルギーに移ってから もう何年がたつのだろう。。。
今では3人の子供の父親となり、救急車の運転手として働く彼は イラン革命以後 一度もイランの地を踏んでいない。

イタリアの南の島には 毎日大量の難民が船でたどり着く。
チュニジア、エジプト、リビアから今後到着する難民の推定人数は なんと2,30万。
収容所の数は足りず 他の地へ送られていく多くの人へのインタビューをみながらマホメッドの面影が ダブって見える。

生き延びるだけで必死だった。
ベルギーにたどり着く前も、イタリア、フランスと仕事を求めて転々とした。 住む国の言葉と ルールを必死で学んだが、同時にイランに残してきた家族が心配で仕方がなかった日々。

日本のような平和な国にいると、そんなことが自分に起こることは想像さえできない。
そして同時に、そこまで必死で生きることも もしかしたらないのかもしれない。

数年前、マホメッドと再会したとき、彼が話してくれた夢を今でも忘れない。

僕は妻に救われた。
彼女に出会わなかったら、今の自分はいなかった。。。


いつか、いつの日か
今のイランの体制が変わって
僕がイランに戻れる日が来るとしたら、
今度は僕が彼女を幸せにしてあげたい。
そして イランの素晴らしさを

僕の子どもたちに
生きていくための誇りのために
見せてあげたいんだ。。。

本気で生きる姿勢と
政府や体制などを抜きにした自分のルーツに対する誇り、
ともすれば忘れてしまう大切なことを 彼は私に教えてくれた。  

 


2011/12/31

ITALY WEB SITE 
英語で楽しめるイタリアの注目WEBサイトの紹介


ミラノ包装用品及び関連品見本市 / IPACK-IMA
http://www.ipack-ima.com/

ミラノ見本市会場で3年に1度開催される包装資材・機器 , ロジスティックスなどの見本市。前回(2009年)には1400社が出展。今年は2012年2月28日から3月3日まで開催。





2011/12/31
編集後記
「イタリア救済(サルヴァ・イタリア)」緊縮財政法案の成立


この夏以降、イタリアを襲った財政危機の嵐は、文字通り、驚くべくスピードで坂道を駆け下りるように悪化の一途をたどり、さすがのベルルスコーニ前首相も窮地に追い込まれ、自ら退陣した。
そしてジョルジョ・ナポリターノ大統領からマリオ・モンティ氏が次期首相に指名されたのが11月13日。11月16日に新政権発足。その後のスピードも早かった。12月4日には緊縮財政政策を発表。そして12月22日に「イタリア救済(サルヴァ・イタリア)」法とモンティ新首相の名づけた349億ユーロにおよぶ緊縮財政法案が成立した。

ハラハラ感と呆れるような思いの混ざった感情で、夏以降毎日、テレビのニュースや討論番組、新聞などを注意深く見てきたが、モンティ新首相登場でイタリアの流れが大きく変わったことを実感した。

第一は、政治の流れ。新首相本人が何度も繰り返したのが「イタリア国家の危機を救うには、選挙への影響を考えると政治家が決して言い出せない『不人気な政策』を実施しすることが不可欠。それを実現するために私が呼ばれたのだ」という発言。その政策方針は「厳格」「公正平等」「成長重視」と明言した。

これには、中道右派のこれまでの与党第一党PDLも、中道左派の野党第一党PDも「イタリア国家の危機を救うために」「責任ある政党」として新政権をバックアップすると声明せざるを得なかった。
実際のところ、3年前の総選挙で「不動産税」廃止(ただし、1軒目の住宅に対してのみ)を公約に掲げて当選したベルルスコーニ前首相や与党PDLは、自分からは口が裂けても「不動産税」の再導入をとりあげることはできなかった。同様に、労働組合との関係上、中道左派のPDも、年金受給年齢の引き上げなどの「年金改革」は言い出せる内容ではなかったのは事実である。

そして12月4日にまさに「タブー」だった「不動産税再導入」と「年金改革」を柱とした財政政策案が発表されると、両党とももちろん支持層を意識してポーズとしては「困った、遺憾だ」と連発はするものの、他の歳入源もみつからない。また「ここで反対して、そのために、イタリアが沈没してはその責任を問われては困る」という思惑が働いたのだろう。労働組合も「強く抗議」しストも行ったが、「反対の」既成事実をつくるためという印象が強かった。これまで何事についても与野党の対立があまりにも激しく、抜本的な改革も政策も何一つ実現できず、反対のための反対の時代が長く続いてきたことを考えると「あっけない」幕切れという印象もわいてくるほどだった。

もう一つは、国民の側の変化だ。モンティ首相の緊縮財政法案に関する明確な説明を前にして、一般の人々も驚くほど落ち着きを持って「負担増」を受け入れざる得ないという「国民的コンセンス」が生まれたように思える。もちろん「困ったものだ」という発言はあるが、タカを括っていたところ国の財政がここまで深刻な事態になっていることに気づき、今度ばかりは「観念した」というのが一番近い表現かもしれない。 

2011年はイタリア統一150周年の年。お祝いの関連イベントが繰り広げられる1年となるはずのこの年、「未曽有の」深刻な1年として終えることになってしまった。しかし土壇場で「イタリア救済(サルヴァ・イタリア)」法の成立を支えた与野党の協力、一般市民間の「負担増の国民的コンセンサス」をみると、多くの犠牲を払いつつも、もしかしたら、これこそがイタリア統一150周年を象徴する「歴史的な大事件」となったともいえるのではないだろうか。2012年はこうした犠牲が実を結ぶ年になってほしいものだ。


2011年12月31日
JIBO編集室
大島悦子 (Etsuko Oshima)


TOP

ご質問・ご意見は/e-mail:jdesk@japanitaly.com
www.japanitaly.com
(C)Japan Plus Italy Co.,Ltd All right reserved.